仕事に集中できない…。

趣味で音楽活動をやっていて、月に1度以上は仲間との練習でスタジオを利用する。
私はギターを弾いて歌うのだが、練習後はそのまま仲間と飲みにいくことが多いので、楽器はロッカーを借りて預けている。

 

8月の初旬に、携帯が鳴った。スタジオからだった。
私が利用している支店は閉店になり、別の支店に統合されるらしい。
疫病の影響で利用者が減り、商売が成り立たなくなったためだ。
8月末日までに楽器を取りに来てほしい、ということだった。

 

私は30日ギリギリに楽器を迎えに行った。
スタッフの女性から鍵を受け取り、ロッカーから楽器をとりだした。
帰り際、受付でそのスタッフの女性に「皆さんはどうなってしまうのか?」と尋ねた。
マスクをしたままの彼女は「9月から別の店で働けるかもしれないし、未だどうなるか分からない。」と、目じりを下げて答えた。
私はなんだかいたたまれなくなって、それ以上会話を続ける気にならなかった。
逃げるように私は、「そうですか。では皆さんお元気で。」と、麦わら帽子をとってお辞儀をしながら足早に出口の階段を上がった。マスク越しに、彼女と少しだけ目を合わせた。
彼女は声を震わせながら(おそらく泣きそうになっていたのだろう)、「ありがとうございました。ありがとうございました。」と、お礼を言っていた。

 

スタジオを後にして、地下鉄の駅に向かう私の足取りは重かった。
こんな社会を作り出してしまった人々への怒り、この状況で何も突破口を見いだせない自分の無力さ…。

 

何か小さなことでもいいから、こんな状況を打開できることはないのか、と、その日以降、ちょっと仕事に集中できていない。

政治コスト

これまで、ビジネスにおける政治コストについて語られることがあまりなかったように思う。

過去から主にに製造業、最近ではサービス業にいたるまで、彼の国をある時は調達先として、またある時はマーケットとして活用してきた。

多くの経営者は、日本国あるいは世界中の国々を販売ターゲットとして、彼の国で生産設備を作って多くの財やサービスを生み出し、原価を極限まで抑えつつ大量のプロダクト供給を続けることに成功した。

この過程で、日本からは巨額の資金や知財が正規のルートで提供され、またあるいは不正な手段によって彼の国に持ち出された。
このことによって、日本国内の供給能力は漸減していったが、彼の国で生産するという手段で安く大量供給し、世界中にモノを売ることができたので、それが可能な大企業だけは莫大な収益をあげることができた。
この莫大な収益は、配当やキャピタルゲイン、高額な役員報酬という形で、主に投資家と経営者にのみ分配され、これらの人々に「個人的な」利益をもたらした。

また、資金や知財が彼の国に持ち出される過程で、その窓口に居る人々(特定の政治家、役人や企業の管理職といったエリート利権者)にも同様に、「個人的な」利益がもたらされた。
ある時は金、オンナ、名誉、あるいはフレッシュな臓器などと、あらゆる手段と方法によって計画的に提供された。

こうして、これらの人々と彼の国とは、持ちつ持たれつの、特別の利害関係を次第に深めていった。
これらの「個人的な」利益を受け取ることができた人々というのは、特定の階層の、特定の人々である。

「個人的な」利益と引き換えに、これらの人々が彼の国に提供しつづけたものとは、何であったか?
それは、わが国の重要なリソースであるところの、カネ(意思決定者にのみ動かすことができる、莫大な資金)、設備、人材、知財、個人情報などである。
これらのリソースが、「戦略的」判断によって、どんどん彼の国に流出し、肥え太らせていった。これらは企業の戦略の衣を着た、個人の戦略であった。

また、1990年~2015年あたりまでは、本来は「個人的」なリソース持ち出し「戦略」と表現すべきものが、あたかも国家や企業の生き残り戦略であるかのように喧伝された。マスメディアや胡散臭いコンサルタントたちも連日「バスに乗遅れるな!」と声高に叫び、彼の国と特別な関係にない大部分の人々もこの雰囲気に飲まれ、間接的な利害関係に巻き込まれていった。

結果として、以下のような「どつぼ」スパイラルが見事に作り上げられてしまっていたのである。
・彼の国は肥え太る。
・これらの人々(利権者)も肥え太る。
・これら以外の人々はデフレと貧困にあえぐ。

一方、他国から詐取した莫大な資金・設備・知財・人材などの借り物のリソースをレバレッジとして、自国産業も急速に発展させたのが彼の国である。
核技術やバイオテクノロジーなどの分野においても、例外なく発展させていった。
ただ、核技術やバイオテクノロジーなどの、研究開発に危険を伴なう分野については、これらのリソースに加えて、その発展を担う人材には高い倫理観が必要になる。
今回の疫病流出という全世界的・歴史的な悲劇について言えば、この倫理観の欠如による杜撰な管理がもたらしたのだともいえる(私は「今回の件については」謀略論には加担しない)。

ある特定の人々の「個人的に戦略的な」判断の積み重ねの結果がこんにちの阿鼻叫喚の世界を作り出したのである。
これら特定の人々の「個人的に戦略的な」判断によって、「自分だけは」特別な利益を得てきた。

ただし、皮肉なことに、今回の疫病についてはこれらの人々が「自分だけ」助かる、ということはない。
疫病は豊かさやポジションとは関係なく、平等に襲ってくる。
巨大な「合成の誤謬」(投資家や経営者の一丁目一番地だ)が世界的規模で見事に顕現したといっていい。

また、疫病の二次被害として、貧困とデフレをも併発し、国家や企業もその被害にあえぐことになるだろう(もうその入り口は見えはじめている)。
たしかに、時間が解決する部分があると言えなくもない(予防法や治療法も実際に確立され始めている)。
これらの特別な階層に居る人々には、特別なワクチンの入手や手厚い治療などの入手はたやすいことなのかもしれない。
しかし、共同体全体として健全に機能していない中では、特別な立場であったとしても、これらの入手が非常に難しくなることは容易に想像できる。
「自分だけ」は豊かで「自分だけ」は特権的立場にあったとしても、疫病や貧困、デフレで荒廃した社会で享受できる財やサービスはとてつもなく劣悪なものであり、そんな社会では富も立場も、意味をなさないのである。欲しいと思えるものがどんどんなくなってくるからだ。

そのような社会にしてはならない、と思う。
今後は投資家や経営者といった人々が意思決定するプロセスにおいては、「政治的コスト」をそろばんに入れるようにすべきだろう。経営的ノウハウに加えて、歴史や地政学、民族などの教養が要求されるようになるだろう。
マスコミやコンサルのいいなりになってはいけない。
また、「個人的な」利益を「企業全体の」利益として欺き続けることは難しくなってくるだろう。
良識ある庶民はここ監視すべきだし、今では大部分が腐敗してしまっている労働組合などの組織についても、くだらない政治活動にかまけている暇があるならば、このあたりをきっちり指摘して経営者と対峙し、「社員を守る」という本来の役割を取り戻していくべきだろう。

【参考文献】
『組織の不条理――なぜ企業は日本陸軍の轍を踏みつづけるのか』(ダイヤモンド社, 2000)

破綻国家レバノン

昨日(8月5日)、レバノンの首都ベイルートの港で大爆発があった。

2,750トンにも及ぶ大量の硝酸アンモニウムが6~7年前から保管されていたようである(何に使うつもりだったのだろうか)。爆発での被害者は死者135名、負傷者4,000名、被害総額は約3000億~5000億円にのぼると報道されている。

港の支配権はどうやらヒズボラにあったようだ(それどころかレバノンではヒズボラが与党らしい)。国家経済も破綻しており、2020年3月にデフォルトしていた模様。

破壊活動を勢力拡大の拠り所としているテロリストにとっては、社会や国家を高度に構築し、安定的に運営し続けることは難しいように思う。過激な理念先行型の組織の最も脆弱な部分によって自壊して行くパターンだろう。巻き込まれた無辜の住民には心から同情する。

ところで、レバノンにはかのカルロス・ゴーン被告が逃げ帰っている。どうやら、彼の住居(一説では未だ日産子会社の所有物(根拠不明))も被害をうけたようである。彼はキリスト教のマロン派だが、レバノンでは現在イスラム・シーア派が急増しておりマジョリティとなっている。

逃亡を画策した当時、彼は余生を悠々自適左うちわでのほほんとで暮らしてける目論見があったはずだが、武漢肺炎のせいで、世界中で安全な場所というのはほぼなくなってしまった。

個人的に感じているのは、彼は東京でおとなしくブタ箱にぶち込まれていたほうが余程マシだったのではないだろうか、ということだ。

GoToキャンペーン

GoToキャンペーンは結局実施するようである。いつものことながら、役人のやることは全く国民の方向を向いていない。

web検索エンジンでGoToに関して検索してみたが、役所から直接消費者に向けたメッセージや説明資料はヒットしなかった。

かわりに、入札業者向けの資料はきっちりとアップされていた(トップでヒットした)。

https://www.meti.go.jp/information/publicoffer/kobo/2020/k200701001.html

https://www.meti.go.jp/information/publicoffer/kobo/2020/downloadfiles/k200701001_04.pdf

国民向けのメッセージはどこだ(すぐ見つけられないところに置いてあるのか…)?

資料中では、マスクをつけた消費者のイラストが多用されている。

ふざけるな。

ニュースでは、東京在住者はこの割引対象から除外と言っている。我々はバイ菌扱いか?

ふざけるな。

いいから減税しろ。

 

 

武漢肺炎(コロナ)関連情報源

この4ヶ月間、武漢肺炎の混乱には商売上もプライベートも振り回され続け、ほとんど休めていない。

お客様によってテレワークに使っている環境やツールが違うため、使い方を覚えるのにも難儀している。

元々、テレワーク環境を自宅にそこそこ整えていたため、比較的インパクトが少ないと思っていた私でさえこのザマである。

そもそもITを生業にしていない人や、対面でしか業務が成り立たない人には相当きつかっただろうと思う。

私生活もスーパーに買い物に出る以外はほとんど外出していない。料理もほとんど自炊だ。おかげでフライパン返しができるようになった(蛇足だが、「レシピ通りにつくらないと不味くなる」ということを、この年齢になってようやく知った)。

マスクは元々花粉症でストックがあったため、何とかしのぐことができた。

消毒用アルコールは2月頃に普段お世話になっている飲食店のオーナーから、タンクごと4リットルも頂戴した。

あるお得意様からはMaxcellの消毒器を頂戴した。またあるお得意様は、継続して弊社に仕事が出せるようにと、社内での調整に多大な骨折りをしてくださっている。

妹のお客様からは、「お兄様に」ということで、貴重な不織布マスクを1ケース頂戴した。

ありがたい限りである。こういう危機的状況には人情がとてもとても身にしみる…。

 

さて、この騒ぎの中、情報の入手には非常に苦労した。政府系の情報源がクソだからだ。

厚生労働省東京都の情報開示ははっきり言って腐っている。構成も個別の表現も最悪で画面から腐臭が漂ってくる。

そもそも、正確な情報をわかりやすく伝えようという意思がまったく感じられない。情報を整理して発信する力がない、というのはクソだが、何かを隠蔽したり煙に巻こうとしているのであればもっとクソだ。

私は、3月頃から、東洋経済新報社のサイトでまとめられているので、こちらを活用している。

きれいに整理されているので、状況が直観的に理解できる。ただ、集計基準や表現方法がたまに変わっているので、これはやめてほしいと思う(これは東洋経済のせいというよりは、厚労省が出してくる情報の内容や基準がコロコロ変わるからだろう)。

 

私がかねてよりお世話になっている、元京都大学教授の桂義元先生がご自身のページ上で疫学上の観点から、コラムの執筆を再開なさっている。ご興味があれば参照されたい。

 

事が落ち着いたあかつきには、

・火元となったモンスター国家

・そのモンスター国家からハニートラップや便宜供与(カネやフレッシュな臓器の提供)を受けて国民の命と財産を差し出した政治家・企業トップ

にはきっちりオトシマエをつけてもらいたいものである。

北京訪問

中国と縁の深い友人が居る。とある国立大学で政治学を教えている。

彼は数年前から足掛け二年ほど中国に赴任し、現地で政治学の教鞭をとっていた。

帰国後も、しょっちゅう北京や上海に行き来していた。

帰国の都度、「一度一緒に中国へいこう。案内してやるから。もうそのうち、行けなくなるから。」というのが口癖になっていた。

奇しくも、今回の武漢熱でそれが現実のものとなってしまった。

「一度、行っておくべきだった。」などと、後悔はしていない。

Ui-Path Tips No.2:コマンドによる実行の方法

以下のコマンドで実行可能。

□引数なしの場合

UiRobot.exe -file:”[ファイル名(.xaml)]”

※ファイル名は絶対パス(または環境変数等でパスを通しておく)。

□引数ありの場合

UiRobot.exe -file:”[ファイル名(.xaml)]” -imput”{‘[引数名1]’ : ‘値1’, ‘[引数名2]’ : ‘値2’, ・・・・}”

救急車を呼んではいけない

先日、沖縄から東京に戻ってきた友人(というか先輩というか師匠というか…)に呼ばれて、落合の鮨屋へ向かった。

「戻ってきた」とは言っても、彼は沖縄に住んでいるし、繁華街でバーを営んでいる(オーナー兼マスターである)。

沖縄に長期出張していたころ、偶然そのバーに飛び込みで入って、仲良くなった。

鮨屋には仕事があったため遅れて到着したが、偶然にも、これまたそのバーでお友達になった、弁護士のt氏も同席されていた。

t氏は最近結婚されて、しばらく宴の席からは遠ざかっていらっしゃったのだが、東京出張ということもあり、僕が到着するころには結構トロンとした目をされていた。

また、T氏の大学時代のお友達の、芝工大の数学の教授も同席されていた。

僕は中学から数学は苦手で、どうしても理解できないことがあったので、ここぞとばかりに、虚数や自然対数の底や、1秒の決め方など、およそ酒宴には相応しくない質問をたくさん投げかけてしまった。

数学の先生(i氏)は相当召し上がっているにも関わらず、面倒臭い(しかも幼稚な)質問に、テキパキと回答してくださった。

非常にわかりやすかったのが、「数学は合意のための道具」ということであった。虚数も自然対数の底も、「あったほうが便利だから、ある。」、という風に総括された…。

色々教わったのだが、僕も日本酒を相当呑っていたので、詳細はほとんど覚えていない。

とても役に立つと感じたのは、数学ではなく生活のTipsで、「身内に死人が出たら、救急車を呼んではいけない。」という話しである。大変興味深かった。

i先生の曰くはこうだ。

特に東京などの大都会では、身内が死んだら救急車ではなく、主治医を呼ぶべきである。なぜならば、かかりつけでない病院に搬送されてしまうと、検死に回されることになり、ここがとんでもない待ち状態になっていて(しかも完了の目途も教えてくれないらしい)、いつまでたっても葬式のプランが出来ない、という憂き目を見る・・・。

結構ショッキングな内容ではあるが、僕も都会で独り暮らしをしている身である。

同じく東京に住んでいる妹には、伝えておこうと思った。

親指

右手の親指を突き指してから、もう二週間になる。

あるイベントで、着替え部屋のフスマが思った以上にかたく、本当にかたくて、右手親指を突き指した。

家主のおばあさんから、「フスマかたいので気を付けてくださいね~♪」って言われていたにも関わらず、やらかしてしまったのだ。

力を込めて押したので、親指の第一関節から、第二関節から、「ぐにゃっ」などという音がして(本当に鳴った気がする)、変な方向に曲がった。

「気を付けてってこういうことかよ…。」

そのイベントではギターを弾いて歌わなければならなかったので(しかも本番前だったので)、結構大変だったが、その後がもっと大変だ。

右手の親指が痛いと、以下のような不都合がある。

・鞄を持つと痛い。

・ボールペンを持つと痛い。

・電源のプラグを挿すと痛い。

・キーボードが打ちにくい(スペースキーを押すと痛い)。

その他、湯を沸かした鍋を持つときも危ない。

親指を痛めると仕事に支障がでるのだな、と人生で初めて思った。

今後は親指を痛めないように、気を付けたい、と思う。