これまで、ビジネスにおける政治コストについて語られることがあまりなかったように思う。
過去から主にに製造業、最近ではサービス業にいたるまで、彼の国をある時は調達先として、またある時はマーケットとして活用してきた。
多くの経営者は、日本国あるいは世界中の国々を販売ターゲットとして、彼の国で生産設備を作って多くの財やサービスを生み出し、原価を極限まで抑えつつ大量のプロダクト供給を続けることに成功した。
この過程で、日本からは巨額の資金や知財が正規のルートで提供され、またあるいは不正な手段によって彼の国に持ち出された。
このことによって、日本国内の供給能力は漸減していったが、彼の国で生産するという手段で安く大量供給し、世界中にモノを売ることができたので、それが可能な大企業だけは莫大な収益をあげることができた。
この莫大な収益は、配当やキャピタルゲイン、高額な役員報酬という形で、主に投資家と経営者にのみ分配され、これらの人々に「個人的な」利益をもたらした。
また、資金や知財が彼の国に持ち出される過程で、その窓口に居る人々(特定の政治家、役人や企業の管理職といったエリート利権者)にも同様に、「個人的な」利益がもたらされた。
ある時は金、オンナ、名誉、あるいはフレッシュな臓器などと、あらゆる手段と方法によって計画的に提供された。
こうして、これらの人々と彼の国とは、持ちつ持たれつの、特別の利害関係を次第に深めていった。
これらの「個人的な」利益を受け取ることができた人々というのは、特定の階層の、特定の人々である。
「個人的な」利益と引き換えに、これらの人々が彼の国に提供しつづけたものとは、何であったか?
それは、わが国の重要なリソースであるところの、カネ(意思決定者にのみ動かすことができる、莫大な資金)、設備、人材、知財、個人情報などである。
これらのリソースが、「戦略的」判断によって、どんどん彼の国に流出し、肥え太らせていった。これらは企業の戦略の衣を着た、個人の戦略であった。
また、1990年~2015年あたりまでは、本来は「個人的」なリソース持ち出し「戦略」と表現すべきものが、あたかも国家や企業の生き残り戦略であるかのように喧伝された。マスメディアや胡散臭いコンサルタントたちも連日「バスに乗遅れるな!」と声高に叫び、彼の国と特別な関係にない大部分の人々もこの雰囲気に飲まれ、間接的な利害関係に巻き込まれていった。
結果として、以下のような「どつぼ」スパイラルが見事に作り上げられてしまっていたのである。
・彼の国は肥え太る。
・これらの人々(利権者)も肥え太る。
・これら以外の人々はデフレと貧困にあえぐ。
一方、他国から詐取した莫大な資金・設備・知財・人材などの借り物のリソースをレバレッジとして、自国産業も急速に発展させたのが彼の国である。
核技術やバイオテクノロジーなどの分野においても、例外なく発展させていった。
ただ、核技術やバイオテクノロジーなどの、研究開発に危険を伴なう分野については、これらのリソースに加えて、その発展を担う人材には高い倫理観が必要になる。
今回の疫病流出という全世界的・歴史的な悲劇について言えば、この倫理観の欠如による杜撰な管理がもたらしたのだともいえる(私は「今回の件については」謀略論には加担しない)。
ある特定の人々の「個人的に戦略的な」判断の積み重ねの結果がこんにちの阿鼻叫喚の世界を作り出したのである。
これら特定の人々の「個人的に戦略的な」判断によって、「自分だけは」特別な利益を得てきた。
ただし、皮肉なことに、今回の疫病についてはこれらの人々が「自分だけ」助かる、ということはない。
疫病は豊かさやポジションとは関係なく、平等に襲ってくる。
巨大な「合成の誤謬」(投資家や経営者の一丁目一番地だ)が世界的規模で見事に顕現したといっていい。
また、疫病の二次被害として、貧困とデフレをも併発し、国家や企業もその被害にあえぐことになるだろう(もうその入り口は見えはじめている)。
たしかに、時間が解決する部分があると言えなくもない(予防法や治療法も実際に確立され始めている)。
これらの特別な階層に居る人々には、特別なワクチンの入手や手厚い治療などの入手はたやすいことなのかもしれない。
しかし、共同体全体として健全に機能していない中では、特別な立場であったとしても、これらの入手が非常に難しくなることは容易に想像できる。
「自分だけ」は豊かで「自分だけ」は特権的立場にあったとしても、疫病や貧困、デフレで荒廃した社会で享受できる財やサービスはとてつもなく劣悪なものであり、そんな社会では富も立場も、意味をなさないのである。欲しいと思えるものがどんどんなくなってくるからだ。
そのような社会にしてはならない、と思う。
今後は投資家や経営者といった人々が意思決定するプロセスにおいては、「政治的コスト」をそろばんに入れるようにすべきだろう。経営的ノウハウに加えて、歴史や地政学、民族などの教養が要求されるようになるだろう。
マスコミやコンサルのいいなりになってはいけない。
また、「個人的な」利益を「企業全体の」利益として欺き続けることは難しくなってくるだろう。
良識ある庶民はここ監視すべきだし、今では大部分が腐敗してしまっている労働組合などの組織についても、くだらない政治活動にかまけている暇があるならば、このあたりをきっちり指摘して経営者と対峙し、「社員を守る」という本来の役割を取り戻していくべきだろう。
【参考文献】
『組織の不条理――なぜ企業は日本陸軍の轍を踏みつづけるのか』(ダイヤモンド社, 2000)