8月から、あるお客様の業務プロセス改善に関わらせていただくことになった。
巨大企業にしか存在し得ない業務であり、その業務内容も用語も、特殊きわまりない。属人的な判断や手作業も多い。
したがって、「こう提案すべき」、「他のプロジェクトではこうだった」、などということが全くできない。
元請けのプロマネの方に必死で喰らいつきながら、資料を読み、アウトプットを作っている。
不思議なもので、資料を読んでいるだけ、という状態では得られなかった安心感のようなものが、手を動かすことによって出てくる。
最初は意味もチンプンカンプンで頭に入ってこなかったプロセスや用語でも、理解というものを通り越して、スッと頭に入ってくる瞬間が多くなってくるからだ。
「スッと頭に入ってくる」というよりはむしろ、実はもうその段階では、大部分の専門用語はもはや自分の中で血肉になっているのかもしれない。
気付いたらキーボードを通して、いつの間にか資料に落ちている、ということが良くある。
感覚としては、なんとなく、歌を覚えるときの体験に似ている。「うろ覚え」という状態から、「暗譜」に脱却するときの心理状態かもしれない。
この感覚に対して、「用語が受肉する」、という表現は適切だろうか、、、とにかくそんな感じである。この感覚を他者と共有するのは難しいだろう。
独りよがりかもしれないが、こうなると既存プロセスの矛盾点や組織の壁などが理解できたような気分になるし、それに伴なってなんとなくユーザの苦労や苦悩も理解できた気にもなって、急にお客に対するシンパシーが湧いてくるのである。
ただ、こういったシンパシーには良い面と悪い面があるので、自分自身の気分をコントロールしながらやらねば、と思う。