矜持

経営者としては失格の烙印を押されることを承知で、だが死ぬまでには吐き出しておきたいことなのでキーボードを叩くことにした。

きっかけはつい今しがた来た、友人からのショートメッセージだ。

彼の会社ではロシアにも販売拠点を持っており、赴任している社員は帰国しないそうだ。

日本よりロシアでの売上が多いから引き上げられないという。きっと中国にも同じことが言えるのだろう。

企業はカネを餌に生きる怪物なので、その生存本能は社員に「自分の首を吊る縄まで売れ」とまでも命令する。

その怪物の一つ一つの細胞である労働者は、基本的には逆らう手段を持たない。逆らう場合は、社内での自分の輝かしい未来と引き換えだ。少なくとも数年は、がん細胞扱いを受けるだろう。

ただ、本当にそれで良いのか、と思う。ひとつには今回のように命の危険を冒してまで(非友好国への仕打ちとして人質にされる可能性もある、権威主義国家とはそういうものだ)会社に尽くす必要があるのか、ということもあるが、社員としての身分より大事なものもあるのではないか、ということだ。

今ロシアで働いている多くの方々に問いたい。

「自由主義社会に生きる一員としての矜持はあるのか?」

なぜこんなことをつらつら書き始めたか。

友人のメッセージをトリガ―に、、僕自身が会社を辞めて独立するに至った経緯を思い出したからだ。

2001年9月11日、僕はKPMGコンサルティングという外資系の企業で働いていた。確か3年目くらいだったと思う。

あるタイミングで、エンロン事件の後始末に苦しんでいたアーサーアンダーセンと合併して、べリングポイントという会社になっていたと記憶している。小が大を飲み込む形となった。

KPMGの時代は地味で堅実な経営ができていたのだと思う。汚くて小さな赤坂のオフィスで和気あいあいとやっていた。

アーサーアンダーセンとの合併後は、どことなく会社全体が昭和の安っぽいバブリーな雰囲気になり、なんとなく居心地が悪くなった。

会社は、家賃の高い丸の内の新築のビルを2フロア借り切っていた。シニアマネージャ以上の役職には、個室が与えられた。

また、全社挙げてのイベントも、下品な昭和のバブルの臭いがするものに変わった。

半期に一度、オールスタッフミーティングという日本法人全体の会合があった。これは合併後も継続された。

合併前は地味だったその会合は、合併後はミーティングというよりはパーティーが主体となっていた。

ある回では、「金のものを身に着けてこい、1位を決めて、商品を出す。」という事前通達があった。

もちろんバカバカしいので僕は現場仕事を理由に参加しなかった。

別の回のオールスタッフミーティングには、米国からCEOが来ていた。

彼のパーティーでの妙に紳士的な振る舞いが気になったので彼の経歴を調べてみた。アメリカでは珍しいことではないが、軍閥出身者であった。

焼野原になったアフガニスタンの税制策定などで、米国べリングポイントから担当者が派遣されていることがニュースで取り上げられたりもしていた頃だった。社内にはそれを誇らしげに語る人もいた。

遠い国の、罪なき人々の生き血を啜る…。形を変えた帝国主義だ。

そのような連中の支配する日本法人で働く、というのは、どうしても僕の生き方に合わなかった。

そのことだけではなかったが、それを理由の半分として、ほどなく僕は会社を辞めた。

若気の至りというか、血気盛んというか、、、まあそういう美学みたいなところを価値判断の基準とするのは、経営者としては失格なのだと、今になって思う。

それでも、その時の決断に後悔はしていない。

以下余談だが…。

その数年後、べリングポイントは倒産する。

そして昨年(2021年)、米国は不名誉な形でアフガンから引き揚げたのであった。